藤井聡太の幼少期や幼稚園・小学校・中学校は?遊んでいたおもちゃも大公開!

藤井聡太さんはプロ棋士として最年少デビューを果たした天才ですが、どんな幼少期を過ごし、通っていた幼稚園・小学校・中学校どこなのでしょうか?幼少期に遊んでいたおもちゃも気になります!藤井聡太さんの幼少期、通っていた幼稚園・小学校・中学校・遊んでいたおもちゃを大調査しました!

スポンサーリンク

目次

藤井聡太さんの幼少期はどんなだった?

史上最年少のプロ棋士としてデビューし、29連勝を打ち立てた藤井聡太さんは、だれもが認める天才と言えるでしょう。「一体どう教育したらあんな天才に育てられるの?」と気になりますよね!そこで、藤井聡太さんの幼少期を調べてみました!

藤井聡太さんの家族構成は、父(大手住宅機器メーカー勤務)、母(専業主婦)、兄(4歳差)の4人家族で、隣には祖父母が住んでいました。一般的な家庭環境ですよね。

藤井聡太さんが将棋を始めたきっかけは、5歳の時に祖母に将棋セットを買ってもらったことによります。最初のうちは祖母が将棋の相手だったのですが、すぐに祖母では相手にならなくなり、祖母より強い祖父が将棋の相手になりました。

祖父に付いて地元のお年寄りの将棋サークルに行こうとしたら「子供は来てはダメ」と言われ「はやくおじいちゃんになりたい!」と言ったそうです。将棋への情熱がわかるとてもかわいらしいエピソードですね。

小学校1年に地元の将棋教室に通いはじめ、その時にプロ棋士でも全問解けない人がいるほどの難問の『詰将棋解答選手権』で凄い成績を残しました。90分の制限時間を半分以上残し全問正解したほど、幼少期から天才的な才能を見せていました。

藤井聡太さんの読書量が非常に多いということはよく知られています。小学生のころから大人向けの本も片っ端から読んでおり、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』(全8巻)は、小学校6年生で全巻読破したそうです。インタビューに答える語彙力の豊富さ、難解な言葉をすらすら使用していることはその読書量によると考えられます。

こんな天才的なエピソードを数多く残している藤井聡太さんですが、家庭では「どんくさい」と思われていました。小学生6年生の時に宿泊先に衣類を全部忘れてきてしまったり、現在でも傘をなくすことが多いそうです。

小学生の頃、将棋のことを考えていて、2,3回歩いていてドブに落ちたことがあるそうです。将棋の事になると天才的な能力を発揮しますが、普段はぼーっとしているところもある、そのギャップが愛される魅力になるのかもしれません。

また、藤井聡太さんは幼いころから相当負けん気が強かったのです。対局で負けると尋常でない泣き方をして、周りを驚かせていたようです。ひっくり返って手足をバタバタさせて泣いたり、将棋盤を抱え込んで数分泣いていたり…。それだけの負けん気があったので、ここまで強くなったんでしょう!

藤井聡太さんの通っていた幼稚園は?

藤井聡太さんは2006年4月に愛知県瀬戸市にある雪の聖母幼稚園へ入園しています。キリスト教カトリックで、園児数60名程の小さな幼稚園です。モンテソーリ教育を基本とし、縦割保育を行っているようです。

モンテッソーリ教育とは、子どもたち自身が自発的にものごとに興味を持つことを大事にし、その好奇心が自然と現れるための自由な環境をつくり、大人がその好奇心がそがれないように援助していきます。責任感と思いやりをもった自立的な人間、一生を通じて学び続ける姿勢をもった人間を育てることが、モンテッソーリ教育の目的です。

モンテッソーリ教育では独特な教具を使い、「日常生活における活動」「感覚の教育」「言語の教育」「数の教育」「文化の教育」を行います。教具を使った活動は「お仕事」と呼ばれ毎日1時間半~3時間程度、教具に自由に取り組む「お仕事の時間」が設けられているのが特徴的です。教具を使う活動が自己形成という目的をもっており、特に目的のない一般的な遊びとは区別されています。

成長するにつれ、ユニークな発想や豊富なコミュニケーション力、自ら選び決めていく強い意志力や人への優しさが発揮されてくるといった口コミも見られました。
自ら選んで納得するまでやることを大事にしているモンテッソーリ教育によって、藤井聡太さんも、将棋の世界を極めようと突き進んでいく意志力がはぐくまれてたのでしょうか。様々なエピソードからわかるユニークで自由な発想もモンテッソーリ教育によるところがあると思います。
また、藤井聡太さんの母の裕子さんは「こうなってほしい」ではなく、「自分でこうやったらいい」と思うように、たくさん絵本を読み聞かせ、話し掛けていたそうです。家庭での教育方法も幼いころから本人の意思を尊重していたので、藤井聡太さんのような天才が育ったのですね!

藤井聡太さんの通っていた小学校・中学校は?

藤井聡太さんは2009年4月に瀬戸市立效範(こうはん)小学校へ入学しています。2015年4月に中学校は名古屋大学教育学部附属中学校に進学しています。

国立の中学校に入る場合は、中学受験をすることになります。通常は「お受験」となると塾に通っって勉強をすることが多いですが、藤井聡太さんは塾に通わずに小学校6年生の12月頃から受験勉強を始め見事に合格しています。

さすがですね、もともとの頭が良いのと読書量が非常に多かったからではないでしょうか。

名古屋大学教育学部附属中学校は中高一貫教育の為、エスカレーター式で名古屋大学教育学部附属高等学校入学することができますが、普段の定期テストや提出物や出席日数などの内申点が影響するので、普段から学業にまじめに取り組んでいる必要があります。

藤井聡太さんは中学生2年生の時にプロデビューをしたために対局で学校を欠席する日が増え、高校への進学が危ぶまれた時期もありますが、無事に卒業し、名古屋大学教育学部附属高等学校入学しました。

プロとしての将棋の道と学業の両立を果たしている藤井聡太さんは、本当にすごいと思います。きっと将棋にも学業にも並々ならぬ集中力を発揮して向かっているのでは、と想像します。強い意思をもって進むと、道が開けてくるのですね!

藤井聡太さんが幼少期に遊んでいたおもちゃは?

藤井聡太さんみたいな天才に我が子を育てるにはどうしたらいいだろう!?そう思ってのことでしょう、藤井聡太さんが幼少期に遊んでいたおもちゃがバカ売れしていましたね。

藤井聡太さんが幼少期に遊んでいたおもちゃとして有名なのが、木製の立体パズル『キュボロ』です。スイス製の知育玩具で、溝や穴のある5cm角の立方体の積み木を組み合わせ、3Dの迷路を作り、ビー玉を通して走らせます。

一時は入手困難状態を極め、値段もそれ以前より跳ね上がりました。現在は入手できるようです。

管理人も子供が3歳半頃に購入しましたが、なかなか難しく、大人でも解説書をじっくり見ながら作らねばできませんでした。これを当時3歳だった藤井聡太さんは一人でコースを組んでビー玉を走らせていたというので、たまげたものです。

また、藤井聡太さんの祖母が一緒に遊ぶために用意したのは、公文式の「スタディ将棋」です。我が子が将棋に興味を持って頭を働かせながら遊べたならば、親としては嬉しいですよね!

これらのおもちゃで遊んだからと言って、必ずしも藤井聡太さんのような天才になれるわけではありませんが、少しでも天才に近づいてほしい、脳を活用して遊びながら発達してほしい、と思うのが親心と言えましょう!

まとめ

藤井聡太さんの幼少期がどうだったのか、また通っていた幼稚園・小学校・中学校について、幼少期に遊んだおもちゃを公開しましたがいかがだったでしょうか?天才をはぐくんだ環境がわかりましたね。

これからもますます藤井聡太さんの活躍が楽しみです!最後までご覧いただきありがとうございました。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする